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『たんじゅんさん』訪問の目次

田舎モンの旅だより
  『たんじゅんさん』 こんにちは

 日本で、「たんじゅん農法」の実績が、ボチボチ出てきている。
 実践者の会が開かれると、その実績がわかるが、なかなか、みなさん、忙しくて集まれない。
 全国の世話人からの情報も、日々の仕事に追われてか、ほとんど届かない。
 [mixi]の情報は、ネットで、少しずつ漏れてくるが、すこしもどかしい。

 そこで、その情報を、じかに集めて、皆さんに届けたいと、田舎モンは旅に出ることにした。
 一段落した畑と田を放りだして、全国の『たんじゅんさん』を訪ね、あちらこちら。

 目的の一つは、「たんじゅん農法」の成果と問題点をさぐること。
 二つ目は、「たんじゅん農法」をやる人、『たんじゅんさん』の人となりを知ること。

 軽自動車で土日「1000円」の旅だより。独断と偏見のレポートを、無いよりは益しかなと、お届けする。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
全国の「たんじゅんさん」を順に訪ねます。
次の読みたい方の名をクリックしていただくと、独断と偏見の訪問記が出てきます。
目次

第7回 中村 勉さん(ブラジル・サンパウロ州・スザーノ)
  ブラジル・サンパウロ市近郊で、夫婦で農業をやってきた。現在61歳。
  2008年5月から、たんじゅん農法を知り、実践。現在5ヘクタールを耕作。
  炭素資材は、キノコの廃菌床。年に100トン/ha撒き続ける。
  収穫後2日も空けないで植え続けて丸2年。
  1年目は、葉野菜(レタス、キャベツ、白菜)を5作。2年目に入って、大根なども。
  野菜は、虫、病気もなくなり、慣行農法以上のでき。味もすっきり、おいしくなる。
  収穫物は、農産物販売商の息子が引き取り、他の生産者の物と一緒に(同値で)販売。
  硬い赤粘土。棒が10cm入る土が、転換2年3カ月後、1.5m~2.0m、最大3.0m入る土に。

第6回 遠藤 弘さん(茨城県神栖市)
まったくの素人で、8年前52歳から、農業をはじめる。
ハウスピーマンの無農薬栽培を手がけ、数年は散々な目に。
3年前から、たんじゅん農法を実践。これだと直感。
この1,2年で、ようやく上質のものが大量にとれだした。
安心・安全なものを栽培し、生計が立たなければ、やる意味がない。

第5回 西川重彦さん(神奈川県大磯町)
 ・炭素循環農法と慣行農法を、同じ圃場内で実践
  ハウストマト・キュウリ、露地葉物野菜、ミカン栽培
  内部品質を比較しながら、着実に研究・実践
  将来は野菜栽培と兼業で、キノコ栽培を

第4回 八重沢良成さん(新潟県津南町)
 ・ いいことずくめだが、ひとつだけ問題が・・・
   定年退職58歳で始めるに、嫌いな農業しかない
   〈手抜き農法〉を選んだ確かな直観力と実践力
   公社から借りた耕作放棄の3町歩に廃菌床と草 
   3年目に根ぐされでアスパラ半分被害、しかし…

第3回 山口今朝広さん(宮崎県綾町)
 ・ 生産から販売まで一貫。200戸に毎週届け続けて28年
 ・ 信頼関係で支えられた産直、技術・心・生命をその中で学ぶ
 ・ 「たんじゅん農法」は5年目、炭素資材の調達や虫食いが課題
 ・ 若者の踊り場を用意、2名の研修生と出入りする数名が2~30代

第2回 山下公一さん(福岡県大牟田市)
 ・ 草を主な炭素源、廃菌床は糸状菌源として補助的に
 ・ 比較試験しながら、着実にすすめている
 
第1回 稲垣正貴さん(愛知県津島市)
 ・ 市場が注目する作物を
 ・ この”やりどく”の農法を未来の仲間に
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1  稲垣正貴さん

田舎モンの旅だより

   『たんじゅんさん』 こんにちは

    第1回   稲垣正貴さん(愛知県)

 ・ 市場が注目する作物を

 ・ この”やりどく”の農法を未来の仲間に



『たんじゅんさん』 紹介

 まず第一回は、インターネットの[mixi]に入っている方はご存じ、稲垣正貴さん(35歳)。
 [mixi]で「炭素循環農法」のサイトの世話をされている、若い『たんじゅんさん』。
 愛知県の西の端、津島市で、たんじゅん農法を始めて、4,5年になる、専業農家。母親と夫婦の3人暮らし。


正貴さんは、大学を出て、プロの農家を目指し、有機農家で実習をしたあと、家の3反の畑をついで、農業をはじめた。
しかし、いくらやっても、有機農業では、虫と縁が切れない。
野菜の世話より、虫の世話が大変だと、悩んでいた。

その時、2004年に「炭素循環農法」を知った。
<虫のつく野菜は、人間の食べ物ではない。虫のつかない野菜を、人間が食べる。それには・・・。その原理は・・・> 。
すっきり、はっきり。 求めていたものは、これだと、直観した。

すぐに、この農法でやっている畑を見て確かめたいと、実践している方を探した。
が、その当時はどこに実践者がいるのか知る手段がなかった。そこで、自ら、試行錯誤。

3年前(2007年)から、本格的に、この農法で、畑3反をやりはじめた。
 だがしかし、昨年は、転換期。収量があまりよくなかった。

 そして、今年(2009年)春。林幸美さんに来てもらって、見学会と勉強会を開いた。20名ぐらいの方が参加。
 その時、「畑はよくなっている。今年の秋にはよくできるよ」と林さんに言われた。

 取材者も、その会に参加していたので、春から半年後、秋に畑がどんなになっているか、この目で見たいと、
 稲垣さんがお忙しい中を押しかけて、「まさき農園」を取材させてもらった。

 毎土曜日、有機朝市に

 専業農家は、野菜を育てても、出口(売り先)がなければ、生活できない。
 正貴さんは、車で30分の距離の、名古屋の土曜朝市に、毎週、生産物の一部を出している。
 それは、名古屋のど真ん中で、毎週土曜日に開かれている、有機野菜を中心とした朝市。
( オアシス21 えこファーマーズ朝市村 http://asaichimura.blog15.fc2.com/ )

 そこに買いに来る方は、安ければなんでもいい方でなく、野菜の価値を認めてくれる方。しかも、一種類ではなく、多種類の野菜を望んでいる。そこに、正貴さんは野菜を出している。

 正貴さんの畑は、名古屋市の西の郊外、もとは、畑と田の広がるところ。新興の住宅や運輸倉庫が点在する。新しい店が立ち並ぶ県道からは、少し入った静かな所。近隣は、ネギの産地。専業農家の畑や民家に囲まれている。

 早速、畑をみせてもらった。
 人参、ネギ、ニンニク、大根、生姜、里芋、ブロッコリー、ナス、トマト・・・。多種多様な野菜たちが育っている。
 タネを蒔く時期を数段階にずらして、収穫期間が長くなるように植えてある。
 さすが、家庭菜園とはちがう。プロを目指している畑だ。


種々の大根


ブロッコリーとネギ


ニンジン


7月播きがもう出荷できそう                   

 まだ、ところどころ、できの悪い所が見えるが、それはまだ、土の浄化にむらがあるから。
 全体としては、かなりよい出来。3年目にして、浄化がすすんできているようだ。野菜の色がすがすがしい。
 畑がとても落ち着いて、気持ちがいい。土が春より確かによくなってきている。
 昨年まではひどかったという。
 まわりは、みんなプロの農家。農薬・除草剤は使っているが、できはいい。
 そんな中で、「まさき農園」のできの悪さが目立つ。
 しかし、そのことは何も言わないで、「置いておくよ」といって、野菜を届けてくださる、心やさしい方が、昨年まではあった。

ところが、今年は、だれも、野菜をくれない。
 それもそのはず、生姜や里芋は、逆転して、周りの畑よりも、できがいいのだ。
 今年は、天候不順で、野菜のできが、一般的に悪い。
 そのなかでの「まさき農園」の出来のよさが、逆に目立つ。

特に、生姜は、プロも顔負けの出来栄え。


生姜の畝


生姜の大きな株  

 取材者も、素人ながら、生姜を畑で試みているが、入れたタネ生姜とホボ同じものが一つだけ、秋に収穫できる程度!
 正貴さんもうまくできなかったそうだ。
 ところが、今年は、とてもいい生姜ができた。
 茎や葉をみるだけでも、できの良いのがわかる。葉や茎が生き生きしている。
 試し掘りしてもらうと、大きな新生姜がずらりと並んでついている。
 まだ畑全部がそうとはいえないが、葉や茎のようすから、9割はいい出来栄えだろう。それも、今年からという。

生姜は、ふつう、農薬漬けで育てられる。植える前に畑を土壌消毒薬をまき、シートをかけ、燻蒸してから植えるという。
 それが、なにもしないで、まだ駆け出しの農家が、こんなりっぱな生姜を育てられるとなると、買う人はもちろんだが、農家も喜ぶはず。いや、もしかすると、農家の大部分は、逆だろうか?

(余談: 田舎モンは、家に戻ってから、いただいた生姜を刻んで食べてみた。例のジャリジャリ感と苦みがなくて、すっきりした生姜の唐みと香りがした。じつは、生姜の苦みが今まで嫌いだった。しかし、これはおいしい。もしかすると、市販の生姜の苦味は、もしかすると、農薬の苦みではと勘繰った)


里芋を掘る


1株でこれだけ  

 里芋もすばらしい。まだまだ、畑のできの悪いところもあるが、できのいいところは、親芋に子芋が10個以上ぶら下がっている。しかも、こぶしの半分ぐらいありそうな子芋。
 朝市には、子芋を出すので、稲垣家では、親芋を自家用にしている。その親芋がおいしいという。奥さんは、大きい方が手間がかからないので、かえって、親芋を喜んで使っているという。
(余談: 掘った里芋1株を全部くださったので、早速、帰ってから、子芋と親芋を食べてみた。子芋はみそ汁の中で、トロトロととろけていた。味がある。しかし、親芋にはもっと驚いた。青い茎の里芋の親は、ジャリジャリして、ふつうは捨てる。ところが、煮た親芋は、それがなく、しっとりと、子芋の食感さえある。なるほど、これなら、捨てるどころか、喜んでいただける)

手抜きチップ農法

3年の間に、畑は、こんな成果が出始めた。
 田んぼも、9反。昨年から、「たんじゅん農法」に切り替えているが、今年は、いい感じだ。モミがふっくらとしている。([mixi] 参照)

 正貴さんは、さらに来年はもっとよくなることを、畑の出来から確信している。
 この農法だと、作物の質が良いのは当たり前。だが、量はどうかなと考えながらやってきたが、これなら、大丈夫だと、今年に入って見えてきたようだ。

では、それには、いかにして、畑作りをしたか。それが、このレポートの一つの目的である。
 この3年の転換のようすを、聴き出してみた。

数年前から、「たんじゅん農法」をはじめるにあたって、正貴さんも廃菌床を探し求めた。
 しかし、この地域では、それは定常的に集めることは難しいと断念した。

そこで、林さんのアドバイスもあって、チップを活用することにした。
 チップなら、手に入る。軽トラいっぱい、500キロで、500円ぐらい。
 はじめは、チップに、いろいろ混ぜて、発酵させ、チップライト化した。いわゆる島本微生物農法の応用だ。しかし、それは、かき混ぜるのに、相当な労力がかかる。

それで、手抜きをすることに。
 今年から、発酵の手間を省いて、チップを運んできたら、そのまま、畑に撒くことにした。

 とくに、広葉樹のチップなら、そのまま撒けばいい。針葉樹のチップの場合は、その強い匂いが消えるまで、半月も山に積んで寝かせれば、それが消える。それから撒けばいい。

 正貴さんは、運んできて、すぐにチップを撒いている。
 いまは、目が小さいのと、荒いのと、2種類のチップが手に入るので、使い分けている。

 小さな芽や、タネ、直に野菜に当たるところには、目の細かいチップを厚さ数cmかける。
 荒いチップは、その上に、草除けや乾燥を防ぐため、厚さ数cmかけている。

 ある程度、野菜が育ってきたら、土寄せをする。そのころには、以前撒いたチップは、ほとんど原形がなくなって、土と同化している。土寄せをしたあとは、その上に、荒いチップを厚さ数cmかける。
 野菜によっては、収穫までに、それを2回から数回繰り返す。

 要は、野菜の育ちに合わせて、表面をかく代わりに、土寄せし、そのあと、追肥の代わりに、チップを補給していく。たった、それだけ。単純、明快。


生姜と2種のチップ


ブロッコリーとチップ
 
 芋類や生姜は、植えるのも簡単。同じ方法でやっている。
 平らに畑を均したら、芋を入れる溝を浅くつくる。それに芋を並べて、土を軽くかける。
 その上に、チップを5cmぐらいかける。芽が出てきたら、さらに、数cmかける。
里芋も、生姜も、それでいい。それだけで、今年のようなりっぱなものになった。
 生姜は、芽が出て、日に当たると、品質が落ちる。それで、芽が出ると、チップをかけるのがポイント。

 あれだけ、悩ませた虫は、この3年、一切取っていない。去年は、だいぶ虫がいたが、そのまま。
 少しは虫に食べられることもあるが、それは人の食べるものではないシルシと放っていると、

 野菜は、食べられた穴を、自分で修復して、元気に育っている。 今年は、虫がほんとに減った。


今年は虫にやられない


食べられても野菜が修復

「たんじゅん農法」はやりどく

農薬も、何もいらない。虫採りもいらない。チップだけ、それも、生のチップ。
 野菜は、微生物が育ててくれる。農家の仕事は、チップを運んできて、畑にかけるだけ。
 それで、野菜が採れるなんて、「やりどく」だと、正貴さんは笑う。

 来年は、2種類のチップの使い分けも要らないかと考えている。
たしかに、畑の上にかけてある、荒いチップを手ではぐってみると、しっかり、糸状菌がまわっている。
 十分に、糸状菌が働いている。  


畑に撒いてあるチップをはぐる


糸状菌がびっしりついている  

 ただ、これほど、作物が育つようになる、
いいかえると、1月ぐらいでチップが分解されるほど、土に微生物が増えてくると、
微生物の餌は、考えた以上に、たくさんいるようだ。
はじめは、1反(10a)に1トン、炭素を供給すればいいとしていたが、
 どうも、一作に3トン/反、一年で、10トン/反が、畑に必要な炭素資材の目安になりそう。
 「まさに、微生物の餌やりが、農家の仕事」と、正貴さん。

永年苦労してやってきた、周りの農家の方が、元気をなくして、老いていく中で、
 こんなに簡単に、なんでもできる。
 その方法と原理を知っただけで、若い農家がやれる。
 これは、ほんとに、<やりどく>だと、畑を観ながら、優しく正貴さんは笑う。

市場で十分通用するものを

 正貴さんは言う。
 この農法でやると、質は文句ないが、量が昨年までは採れなかった。
 ところが、今年は、量もうんとよくなり、慣行農法なみか、それを超えるぐらい。
 まだ、2倍まではいかないが、いずれ、いくかもしれない。

だがしかし、経営は赤字続きだ。
 いまのところ、親の蓄えを持ち出しながら、なんとかやってきた。

 しかし、悲観はしていない。明るい顔をしている。
 今年がだいぶ収益も増してきて、この調子でいけば、来年からは、赤字は出なくなるだろう。

ただ、正貴さんは、それで満足せず、目標をもっと高い所に置いて、来年以後を描いている。

この農法でやっていけば、質は自信がある。問題ない。
 今後、量ができていけば、課題は、畑の<出口>の開拓。
 そのためにも、一つは、一般の市場で、特別に高く評価される作物の出荷を目標にしている。


掘ると白い茎が20cm近くに

 このあたりは、ネギの主産地で、正貴さんも、ネギをたくさん植えて、市場に出している。
 この農法で、今年は、ネギも、味、量ともに、いいものができるようになった。
 少しずつ、まわりからも、評価もされてきているようだ。

(余談; いただいたネギを、帰ってから、ネギ焼きにして、醤油をかけて、口に入れた。白い所は、まだ細いのに、甘く、とろみがあって、すでに、冬の太ネギ。冬が楽しみだ。青い葉も、味があり、一緒にいただいた。)

ただ、それを特化して、市場が注目する特産品にするには、まとまった量がいる。
 それには、仲間が必要だ。

 その仲間も、この春の勉強会をきっかけに、ボチボチとできてきている。
 正貴さんが始めた[mixi]の「炭素循環農法」のサイトも、若い方の拠り所になってきている。

 たくさんの未来の仲間が、まだまだ、この<やりどく>の農法を知らないで、あるいは、知りながらも、
 その採算性、経営の問題で、一歩が踏み出せないで、いまはたくさん隠れている。
そんな方に、この農法を伝え、仲間を増やすことも、正貴さんの夢だ。

 忙しい農作業に加えて、夜中、パソコンに向かい、[mixi]のホームページのお世話するのも、そのためだろう。


チップ置場の前で

「たんじゅん農法」は、微生物が主役の農法である。
 微生物は、どこにも、住んでいる。
 だから、「たんじゅん農法」をやるか、やらないかの問題は、微生物の側にはない。自然側にはない。

その意味でも、「たんじゅん農法」を実践する人、『たんじゅんさん』は、どんな方か興味深い。

 その一人に会ってみて、なにか、やさしい気持ちになれた。
 きっと、『たんじゅんさん』は、やさしい人だからだろう。

 その一人に会ってみて、目指す方向にひたすら、力を抜いて、歩く姿をみた。
 それは、『たんじゅんさん』が、きっと、やさしいだけではないからだろう。

 また、来ます。と言って、夕日に照らされた、畑を後にした。
 今夜は、中秋の名月だ。

 ありがとうございます。

稲垣 正貴さん(まさき農園) 1974.10.7 生まれ
 メール frg.frm@gmail.com 、住所  愛知県津島市寺野町
まさき農園  URL:http://frogfarm.sakura.ne.jp/top
オアシス21 えこファーマーズ朝市村 URL: http://asaichimura.blog15.fc2.com/

個別の問い合わせは遠慮ください。mixiの「炭素循環農法」のコミュニティーに参加いただくか、勉強会にご参加を。

2  山下公一さん

田舎モンの旅だより

   『たんじゅんさん』 こんにちは

    第2回   山下公一さん(福岡県)

 ・ 草を主な炭素源、廃菌床は糸状菌源として補助的に

 ・ 比較試験しながら、着実にすすめている



『たんじゅんさん』 紹介

 福岡県の南、熊本県に近い所に大牟田市がある。そこの櫟野(いちの)で農業をされている山下公一さん(53才)。
 家族は、父と、妻、一男一女の子と、5名。
 田んぼは1町2反(実動7反)、畑は、8反。
 農業専従は公一さんだけ。

 民家が点在する、なだらかな山里。畑や田の間をを縫うように、軽トラがようやく通れる道がうねる。田も、畑も、何か所にも分かれ、畔も曲がりくねっている。
 そこで、山下さんは、コツコツと有機農業を続けてきた。

 7年前、有機農業についてしゃべってくれと頼まれたのがきっかけで、「櫟野(いちの)田んぼの会」が生まれ、いま40名ぐらいの会員がいる。半分が消費者。山下さんは、そのお世話をしながら、みんなと農と食の勉強会も続けている。

 「炭素循環農法」は、5年前、2004年『現代農業』の記事で知った。
 しかし、<土の肥沃と土の浄化が、同時に進む>ということが、その時は、全く理解できなかった。

 2年前から、肥料を混ぜたりしながら、この農法をマネて試験をしてみた。
 その結果、これはいけそうだ。全面的にやってみるしかないとして、1年前(昨年秋)から本格的に、「炭素循環農法」をはじめる。
 今年春、4月中旬、林幸美さんに来ていただいて、畑を見てもらった。そのときは、野菜の出来にかなりムラがあったという。

 訪問したのは、10月12日(2009年)、まだ九州は暑く、稲刈りの真っ最中、農家にとっては忙しい時だった。
 

高炭素資材を工夫

 山下さんは、昨年秋から、肥料の使用をやめて、全面的に「炭素循環農法」への転換を始めた。
 その際、従来の畑とともに、稲を刈ったあとの田の一部を、「炭素循環農法」の畑に使うことにした。田は、畑に比べて、チッソをあまり入れていないので、早くこの農法の成果が出ると期待したからである。

 高炭素資材として、草を主に使い、廃菌床は補助的に用いている。

 この地区で手に入る廃菌床は、エノキを栽培した、コーンコブに、ビートとフスマを混ぜたもので、独特の匂いがある。
 「たんじゅん農法」の資材は、炭素資材と糸状菌の両方の供給ができる<廃菌床>がよく使われている。しかし、同じ廃菌床でもイヤな匂いのするものは、あまり使いたくない。

 それで、廃菌床は糸状菌源として使うことにして、高炭素資材源としては、草や、野菜くず、紙など、ほかに手に入りやすいものをおもに使ってみた。

 草は、土手などの草を刈ったものを、畑の空地まで業者がタダで持ってきてくれる。
 それを山に積んでおき、枯れてきたら、刈り払い機で20cmぐらいに切断して、それを畑に撒いている。 


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業者の持ってきてくれる草の山

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草刈り機で切断したもの
 
 草を撒くと、草の種を撒いているようなもの、後が大変といわれるが、そんな心配はないと、山下さん。
 種は、その土地にあったものしか、発芽しない。
 土がよくなれば、ますます、そんな心配はない。
 草を入れれば入れるほど、畑の草は減ってくるそうだ。


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切った草を敷いた畑

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玉ねぎ苗畑に

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苗がそろって育つ

 実際、草を敷いた畑を見せてもらったが、それは、苗を育てる畑に使っていて、その一部は、玉ねぎの苗が育っていた。
 「たんじゅん農法」をやるまでは、苗がうまく育たなかったのに、今年から、苗がそろって芽を出し、育つようになったそう。
 確かに、見せてもらった畑に、玉ねぎ苗がきもちよく、そろって育っていた。草も、少なかった。

 投入量は、畑で、10アール(1反)あたり、草が2トン、田が1トンくらい。
 炭素資材をもっと入れたいが、現状では、草は、それが精いっぱいだそう。



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野菜くず、段ボールも炭素資材

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段ボールにも糸状菌が一杯

 それで、炭素源として、すぐ使わない畑には、野菜くずや段ボールを足している。
 野菜くずは、市場からもらってきたもの。
 段ボールは、表面が撥水処理がしてあり、そのまま、畑に撒くと、その下が腐敗しやすくなるので、空き地に数か月、野ざらしにして、分解しっかったものを、畑に撒いている。畑の段ボールは、写真のように、糸状菌がびっしりと生えて、貴重な炭素源ともなっている。

 地元で手に入る高炭素源を、何でも探し出し、活かして、微生物の餌として、畑に届ける。
 それが「たんじゅん農法」の農家のしごと。
 それを着実に実践しておられる姿をみせてもらった。

働き者で、お世話好き
 
 あちこちに、田や畑があるようで、軽トラで案内してもらった。 田が1町2反(実動7反)、畑は、8反。
 その一部は、「田んぼの会」に使ってもらいながら、残りの田畑は、基本的には、家族は手伝わない。山下さんが一人でこなしているという。
 といっても、畑の除草や播種など、多くの人手が必要な場合、「田んぼの会」に要請をして、援農をお願いしているそう。

 「田んぼの会」の会員は約40名。田植えや稲刈りなどの特別な時を除けば、毎回十数名が援農に参加している。

 さらに、野菜部会とも言える、4名が別に、週に1回程度、山下さんの仕事を手伝っている。

 そのほか、「田んぼの会」以外にも、体験参加を受け入れたり、会の知人や団体などが、加わることもあるそうだ。


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まだ、山下さんの稲は葉が緑

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しっかりした穂が黄金色に

 水田は、田植え時期だけ、以前からやっていた赤木歳通さんの「菜の花農法」を受け継いで、やっている。
 4月、菜の花が咲いているときに、草を刈って、それを田にすきこみ、それから水を入れて代かきをし、田植えをする農法。すき込んだ草が腐敗するときに発生する有機酸の力で、初期の雑草の発芽を抑えて、除草効果をあげている。
 その点では、水を腐敗させない「炭素循環農法」とは、逆のやり方。

 田植え時期以外は、「炭素循環農法」の考えでやっていて、見せてもらった田は、まだ刈ってなくて、よそのお宅の稲は刈ってあったり、まっ黄色に葉がなっている(上の左の写真の奥の田)のに、山下さんの田の稲だけは、穂は黄金色になっても、まだ、葉は緑を保ち、まだまだ、光合成をしている、元気な稲だった(写真手前)

 葉が黄色の稲は、もう、葉が<枯れて>いるから、実の充実は停止している。
 それに対し、葉が緑の稲は、葉がまだ光合成をし続けていて、実に栄養を蓄えつつある、成長している稲。
 米の収量は、この方法で、反あたり8俵だという。
 ともかく、気さくで、お世話好きな山下さん。その上、農業が大好き、働くのをいとわない方だから、とても忙しい中を、嫌な顔もせず、みんなを暖かく受け入れ、農を楽しみながら、みんなとすすめている。

 それでいて、ち密に、比較試験をあれこれとしている面もある。

 「たんじゅん農法」に変えるにも、生活がかかっているので、全面的に肥料をやめることはしないで、少しずつ、肥料を減らして、生の廃菌床を増やしてみた。それでもできることを、数年かかって確認して、はじめて、全面的に、「たんじゅん農法」に切り替えている。

 また、苗床をいろいろ用意して、どの資材が苗床に適しているか、試験もして、比較している。(後述)

 さらに、市販のホウレン草と、「たんじゅん農法」のホウレン草の二つを放置しておくと、どうなるかの比較もしている。
 市販のものは、一週間もたつと、葉がとろけてくるが、「たんじゅん農法」のほうは、葉が枯れてくるだけと、大きく異なる。
 腐敗と発酵の野菜の違いが歴然とわかる、だれでもできる実験だが、案外みんなやらない。
 そんな”すぐれた実験”を淡々とやる山下公一さんである。 

 田を畑にして始動

 畑を見せてもらった。畑は、昨年秋から肥料をやめ、「たんじゅん農法」で全面的にやっている。

 最初に見せてもらったのは、昨年までは田んぼだったの畑。
 「たんじゅん農法」の畑に、田を使ったのは、理由がある。
 畑よりも田は、肥料(チッソ)の投入量が少ないので、その分、土中に残留している腐敗が少なく、転換が早く、適していると考えて、それを試験したかったからだ。

 昨年、その秋、最初に育てたブロッコリーは、虫に食われ、散々だった。
 今年、春、林幸美さんに来ていただいて、畑を見てもらったときも、野菜が不ぞろいで、あまりできがよくなかった。
 その時、林さんが、「秋にはできるようになりますよ」と言われた。
 
 そして、その秋に畑がどうなっているか、それを検証のため訪問したわけではないが、ちょうど、転換1年目の結果を見せてもらうことになった。


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田から転換1年の畑

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苗次第で虫害が出る

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植えつけ後は元気に

 畑には、白菜、キャベツなどの冬野菜の苗が、ビッシリと植えられていた。
 春にホウレン草は採れなかったが、秋には、かなりよくできるようになった。 
 だがしかし、虫の害にやられたところや、生育が不揃いのところなどがあり、まだまだ完全ではない。
 土の浄化は、途中段階。これから、浄化がもっとすすめば、生産量も上がってくるし、虫の害も減ると、みえてきた。

 今年4月13日の勉強会の時に参加された方に、来年、同じ日に来てもらって、同じホウレン草がどうなってきたかを、見てもらいたい。きっと、見違えるほど、畑が生き生きとしているに違いない。と山下さん。その目は、子供のように輝いていた。


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冬野菜の苗は順調に育っている


ゴボウもそろって育ちつつある

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土の浄化と作物の生産増が同時にできる… 

 土がおいしければ野菜も
 
 夏に野田さんという若者が静岡から来て、畑の土を食べていった。その彼が一番おいしいといった土は、山下さんがナスを育てている畑だった。

 その畑のナスを見せてもらった。
 背の高さ以上のナスの木が、次々とナスをぶらさげている。

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まだまだ元気なナス

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甘いナスがつぎつぎ

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天に向かって花芽つける

 そのまま生で食べると、甘い香りと味がやさしく口に広がる。
 山下さんが求めている野菜の味だろうか。
 それとも、心そのままの味なのだろうか。
 
 ためしに、土を食べてみた。
 確かに、いい味、いやみや、苦み、臭みのない、
 甘く、それでいて、さっぱりした、さわやかな味。
 土の味と、野菜の味は、同じなのだろうか。

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冬至カボチャ
秋になって実をつける

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冬に向かって
値がいいカボチャ

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日照りが続いたのに
里芋もよくできていた
 冬至カボチャがなっていた。
 なかなか、作りにくい、できにくいといわれる、時期外れのカボチャで、希少価値があり、値がいい。
 それを、今年植えてみたら、案外簡単に、畑一面によくできた。

 それは、廃菌床によるこの農法の力なのか、・・・、
 里芋も、よくできた。
 今年は日照りが続き、みんな里芋の出来が良くないかもと、心配されたが、里芋も、よくできたようだ。

苗床の土も腐敗と発酵
 
 山下さんは、いろいろな育苗土で、発芽試験をしておられた。
 

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左 市販の土と田の土
右 市販の土

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左 廃菌床と田の土
右 廃菌床
     
 その結果からみると、市販の育苗土を用いると、育ちはいいが、幼い苗の段階で、虫に葉がやられている。市販の土には、成長促進のための肥料が含まれ、それが、虫を呼んでいるからであろう。

 一方、廃菌床を入れた土では、生育が遅れているものの、虫の害はみられない。

 「たんじゅん農法」では、畑の土を、発酵型に転換するだけでなく、とかく見逃しがちな、苗床の土も、腐敗から発酵型に転換しなと、せっかくの農法も、虫を呼び、畑に移植しても、苗がそのために、いつまでも、虫に食われることになる。

 とても、参考になる比較試験である。

 各地で、苗床としては、市販の育苗土を使わないで、転換後の畑の土を、そのまま使うか、あるいは、ピートモスやくん炭を混ぜて使うなどの工夫がされているのも、この試験からうなづけよう。

今後の課題

 山下公一さんの畑の作物は、半分は、「田んぼの会」のメンバーにわけられ、残りは、グリーンコープ直営店や、熊本の産直店、市場などに出荷されている。

 米は、田んぼの会の会員が、会員一人に対し玄米30キロを5000円で買い上げてもらい、うち、1000円を会費に充当している。
 残りは市場に出し、その売り上げを諸経費に当てている。

 従来は、農薬は絶対だめという姿勢でやってきたが、そのこだわりが、「たんじゅん農法」を始めて、消えてきた。
 長い目で、この農法をやっていけば、おいしくて、しかも、無農薬の生産物が確実にできるようになるという、確信がもてるようになったので、そのためには、今、何をやればいいか、考えるようになった。

 例えば、市販の育苗土を用いているので、畑に移植したとき、苗に虫がついて、やられることがわかれば、その場合のみは、農薬を使うとか、米も、田植え期の草の芽を出させない、除草剤は一回だけ使うとか、割り切れるようになった。

 その農薬の使用は、一時的なもので、2,3年後、この農法を続ければ、それも必要でなくなる。いまは、たちまちの生活を支えるために使うという考えである。

 もう一つの課題は、炭素資材。
 
 高炭素資材を生のまま畑に投入してはいけない。そうすると、チッソ飢餓になると、このあたりでも、農協指導員がいっているそうだ。しかし、そんなことはない。
 資材を腐らせたり、あるいは、畑に深くすきこめば、そうなるが、「たんじゅん農法」をのとおりにやれば、問題ないことを確信してきた。

 しかし、その炭素資材をどう手に入れるかは、ここでも課題である。
 
 草の利用は、炭素資材としては、限界がある。
 草は、チップなどに比べて、炭素量が少ない。
 そのため、相当の草を投入しなければならず、山下さんの畑では、投入炭素量が少ない。(年に、1~2トン)
 野菜の不揃いは、炭素不足の面もあろう。

 全国的に見て、生産性を上げている農家では、投入炭素量は、チップ換算で、年に、10トン近くに達している。
 その点、山下さんは、もみ殻を今後利用したり、また、竹が山にはびこり、問題になっているので、竹をチップにする方法、採算性などを検討していきたいとしている。

 山下さんの今後の夢は、田んぼの会が、ふつうの人が参加して、当たり前の農業を、だれでも、簡単にできるよう、学び、実践し、お世話する場にしていくこと。
 それには、「たんじゅん農法」がいいかもしれないと考えている。
   
 それが広がれば、今問題になっている「CO2削減」が当たり前にできていく。

 その夢の実現のためにも、山下さんは、来春に向けて、みんなに見てもらえ、みんながマネをしたくなるような、「たんじゅん農法」の実績を上げたいと、毎日、畑のお世話を楽しんでいる。

 なお、この訪問のお世話と、当日の案内は、田んぼの会のメンバーであり、その野菜部会の一員でもある、田中さんが補助してくださった。きっと、山下さんのお仕事も、田中さんのような、控えめで、しかも、誠実な方がバックアップしてくださるから、よどみなく、成り立っていっている。

 お二人に、お忙しい時間を割いて、ていねいな案内をしていただき、ありがとうございます。

付記:
山下 公一さん(櫟野田んぼの会)1956.5.6 生まれ
 メール goopa_omuta@yahoo.co.jp
 住所  福岡県大牟田市櫟野(いちの)

3 山口 今朝広さん

たんじゅんさん こんにちは
第3回  山口 今朝広さん  宮崎県綾町

                  09年10月16,17日

生産から販売まで一貫。200戸に毎週届け続けて28年

信頼関係で支えられた産直、技術・心・生命をその中で学ぶ

「たんじゅん農法」は5年目、炭素資材の調達や虫食いが課題

若者の踊り場を用意、2名の研修生と出入りする数名が2~30代




父の開墾した山の畑で28年

 山口今朝広さんの住む町は、宮崎県の中ほど、宮崎市から車で30分ほどの山に囲まれた綾(あや)町。前町長が「自然生態系農業の町」を掲げて、早くから、循環農業の普及に力を入れてきたところ。その町長がなくなって、新しい町長になり、現在は、「有機農業と観光の町」とスローガンを変え、その看板がところどころに立っている。

 山口さんの家と畑は、街並みから少し外れた標高250mの高台、林の中。お父さんが戦後開拓で入って切り開いた2haの畑で、年間25~30種類の露地野菜を栽培している。

 今朝広さんは、農業高校を卒業後、お父さんと共に、12年間ミカンをやってきたが、その後、時代も変わり、野菜作りに転換した。

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山口 今朝広さん

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里芋の畑
 
今朝広さん有機農法で育てた野菜を、直接家庭に届けるやり方で始めた。有機農法で12年間。その後、EM農法で12年。さらに、5年前から、「炭素循環農法」(「たんじゅん農法」)に転換している。
 現在、今朝広さんは59歳。家族は、妻と父。娘3名は農を手伝っていないが、結婚相手(夫)が、「たんじゅん農法」に魅かれており、次が育っているよう。農業研修生を2名受け入れている。畑は、標高240mの山合いに1.8ha。

220戸の「親戚」にそのまま届ける

 28年間、生産から販売まで、一手にやっている。
 最初は、千枚チラシを配ったが、反応のあったのは、2軒だけ。その2軒から届けるうちに、「お客」同士が声を掛け合って広がってきた。
 山口さんが増やそうとしないでも、一時は、野菜を300戸に届けるまでになった。

 しかし、有機野菜(季節のもの、不揃い、天候で左右、ありのまま)を理解してくれる方に絞ることにして、今は、220戸に、週2回に分けて、各家まで届けている。

 一週間のうち、二日は、配送の日。火曜日は、朝9時から夜7時まで、120戸。金曜日は、朝6時から夕方5時まで、100戸。 その家、その家の特徴を考えて、野菜の種類と量を決め、手渡す。その際、代金を計算し、お金をいただく。いないところは、玄関先に置いていく。その集金は次回送り。
 各家で野菜を届けている時間は、平均5分というから、カミワザに近い。

 そういった週2回の配送の準備に、前日各1日かかるので、一週間のうち、畑の作業ができるのは、3日だけとなる。
 週に、栽培が3日、「お客」への宅配が4日、となると、それが楽しくなければ、とても20年以上も続かない。

 口コミで広がった「お客」は、有機野菜に理解があるので、野菜を<商品>と見るのではなく、<命ある食べ物>と考える方。
 季節季節の野菜を、そのまま手を加えず、少々の傷でも構わず届けているそうだ。「おいしいものは他にもあるかもしれないけれど、自然の味はこんなものですよ」と。

 28年たっても、ほとんど「固定客」。変わっていないが、年をとって、ばあちゃんが増えている。しかし、たいていの家は、大家族なので、その間に、2代目、3代目が育って、食べる量が減って注文が少なくなる、といったことはない。

 だから、200戸は「お客」ではなく、今朝広さんにとっては、みんな「親戚」のようなもの。「親戚」のために、野菜を栽培し、それを送り届け、食べていただいている。
 玄関先に、野菜をただ置いていくだけの家もあるが、みんな信頼のきずなで、しっかりつながっているという。

 一口に200戸というが、そこまで増えて、信頼でつながり、配り続けることは、並みの数字ではない。

 では、それだけの大家族の信頼をつなぎとめるためには、刻々の野菜栽培情報や農法についての解説を書いた通信を出しているのではないかと予想し、問うてみた。
 すると、山口さん「そういうものは出していない」「炭素循環農法をやっていることも、ほとんどの人は知らないだろう」という。 200戸の中で、畑の世話に来ている方は、数人だそうだ。

 それでも、たくさんの方とつなぎ止めている秘密は、何か。
 山口今朝広さんとは、どんな方なのだろう。

若者が今年5名も

 農園を訪ねた夜、交流会を開いてくださった。静岡から車で行って、農園を訪問したいが、ごろ寝でいいから、どこか泊まるところはないかと、勝手なお願いをしたら、こういうことになっていた。

 ところが、もっとびっくりした。
 その場に、ずらりと10名以上の方が集まられていた。みんな山口農園に関係した方だという。しかも、その3分の2が、若者なのだ。和気あいあいの食事。何?これはいったい???

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今年来た新人5名

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和気あいあいの会食

 目の前に用意された鍋が、若者の口にパクパク入り、どんどん無くなっていく。それが一方で気になりながらも、「どういうことで、若者が、この場にいるのか」がもっと気になり、箸も取らず、しつこく聞き続けた。

 そのうち、5名の若者は、今年から、この山口農園に来た方。みな35才以下。
 1年前はどこにいたかと聞いてみると、愛知、京都、大阪が1名づつ。後は、宮崎県の日南と宮崎市だそう。

 しかも、みんな農業経験がない。来てから、ここの農業に興味を持ったのだという。
 たしかに、<農業経験がない>からこそ、山口農園の「炭素循環農法」に素直に取り組めているのだろうが。
 あちこちの「たんじゅんさん」を訪ねているが、若い方がこんなに一緒にやっているところは、ほかでは、まだ見ない。

 「この綾町の農家は、どこも、若者が寄ってきているのか」と尋ねると、他の農園にはほとんど若者はいないという。この山口農園だけの特殊な現象。では、その訳は?

 今朝広さんには、カリスマ性はなさそうだ。みんなの中で、静かに話を聞いていて、あまりしゃべらない。みんなを仕切っている、ということもない。自由で和やかな雰囲気。

壁がない、よく話を聴く兄貴

 若者たちに、「なぜ山口農園に居ついたのか」と聞いてみた。
 すると、「なんとなく」という答えしか、帰ってこなかった。
 それでも、しつこく聞いていくと、「今朝広さんは、話をよく聴いてくれ、知ったかぶりがない。一緒になって考えてくれる。それぞれを認めて、受け入れてくれている」。「年を感じさせない、新しいことに挑んでいる。一緒に発見できる。共感できる」。

 一方、今朝広さんに、若者について聞くと、「若い人は、発想がとっぴで、ありそうもないことをいうので、おもしろい。それで、できるかも知れんとやる気になる」。

 「基本的な理論は、炭素循環農法でも、勉強となると、上も下も、年令に関係ない。年は、経験が多いか少ないかだけ。経験から、99.9%虫が来ると思っても、若い方が言うと、0.1%虫が来ないこともあるかも知れんと考える。それが若者とやる楽しさかな」。

 若者は、山口さんのことを、「今朝広さん」と呼ぶ。30歳以上離れた人を、そう呼べる関係っていいなと思った。
 一言でいえば、今朝広さんと若者は、<平らな関係>である。

 今朝広さんは「人に教えるのは得意でない。作物を作るのが楽しみ」という。
 コツコツコツコツ、28年農業をやって、野菜を届けてきた。そして、5年前に「炭素循環農法」に出合い、そこでは「自然が先生」「未来側に先生がいる。知らない方が先生」とも言っている。まさに、ぴったりの農法だ。

 もしかすると、今朝広さんの中で、行き詰まりが起きて、そのとき、あるものに出合って、逆転が起き、「若者が先生」と思える心境に変わり、それから、若者たちが、周りに増えてきたのではなかろうか。

 農園で、経験のあるもの、ないもの。混ざり合って、それぞれの持ち味が発揮されていく。30歳以上の年齢差があるのに、その壁を感じさせない今朝広さんの謙虚さと探究心。

 それが、若者を居心地よくさせ、やる気を起こさせ、また、他の若者を引き付けているのかもしれない。

若者たちの踊り場

 若者たちに、この綾町に来て一番困っていることは?と聞くと、住む家がないことという。1名は、9月まで開墾した畑の隅に山用のテントを張って、電気も水道もない生活をしていたが、10月になってプレハブの倉庫に代わった。他の1名も、農業倉庫で生活している。 

 5名のうち2名は、農業研修制度を利用して、山口農園の研修生にしてもらっている(研修生には国から月13万円が1年間支給される)が、他は、アルバイトをしながら、農業にいそしんでいる。

 そんな中で、若者たちは、山口さんの畑の手伝いをしながら、新しいことを二つ始めた。

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ミカン畑が変身

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大豆

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畑のそばで暮す

 一つは、若者たちの踊り場が欲しいということで、山口さんは、町から山地を2ha借りた。町が、元ミカン畑の放棄地を買い取り、公園にしようかとしていた土地を、無料で5年間貸してくれることになった。いま、若者たち3名が暇を作っては、その林となった土地を、木の根を起こしながら開墾し、畑を増やしている。

 木の茂った斜面を開墾するのは、並大抵のことではない。いままで<農>と縁のなかった若者が、ミカンの太い根をひっくり返すのは、重労働だろう。だがしかし、だからこそ、面白いのかもしれない。

 できた若者の畑は、半年前までは林とは思えないほど、とても清々しい畑。すべて「たんじゅん農法」でやっている。
 もともと土地が汚されていないためか、素直にその通りやっているためか、まだ半年もたたないのに、虫食いもない野菜が、元気に育っていた。山口農園のほかの畑よりも、できがよいぐらいだった。

 もう一つの新しい動きは、稲。

 山口農園は山間の傾斜地にあり、もともと田はない。
 ところが、若者が来て、今年、稲を始めたいと言い出し、町の平坦地に田を3反借りた。その相談にも、山口さんは気持ちよく乗ってくれた。

 山口農園総出で、はじめての田植えは行われた。株間が40cmのゆったりとした田。1反はモチ米、2反はウルチ米。

 訪問したときは、ちょうど稲刈り前で、稲穂はたわわに稔っていた。若者の気が伝わったのか、生き生きとしていて、初めてとは思えないほど、よくできていた。

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今年始めた稲

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よく実っている
 
 これから、全国の「たんじゅん農法」の農園で、若者が生き生きと育っていく、そんな場が広がる。そんな未来が、山口農園から観えそうだ。

転換5年目の現状

 若者の畑の紹介が、今朝広さんの畑より先になってしまった。

 今朝広さんの畑を回って見せてもらうことにする。 今朝広さんといっしょに、若者が3名、一緒に案内してくれる。それだけで、この農園は、豊かだなと感じる。

 畑は、お父さんが終戦後、中国から戻ってきて、森を伐採し、手で開墾したところ。
 ゆるやかにうねる林に囲まれた畑が2ha、あちこちに段々と点在している。
 そこで200戸の<親戚>に配る野菜を栽培している。年間25~30種。

 山口農園には、小川はない。冠水設備もない。天水に頼っている。
 しかし、いや、だからか、病気は出ない。トマトも、キュウリも、うどん粉病はない。葉カビも出ない。病気で困ることはない。 問題は、虫の害。宮崎は南国の地、暖かいために、虫の被害がひどい。

 EM農法だった時も、ものはよくできたが、虫の害は防げなかった。
 そんなとき、5年前、『現代農業』の9月号の「炭素循環農法」の記事を読んだ。

 「虫が食う野菜は、人間の食べ物ではない。虫のエサだ」
 この一言で、何がなんでも虫の食わない野菜をつくりたいと決めた。 

 12年やってきたEM農法をやめて、この農法に、少なくとも、4,5年はかけてみようと決めた。何の迷いもなかった。その10月、廃菌床を取り寄せ、畑に撒いた。
 EM農法は、肥料設計がむずかしい。
 だけど、この農法は、なにも考えなくて、撒けばいい。まるで、花咲爺。無肥料が面白いと思った。でも、この農法は、素人ならやれるけど、プロはやれないなと思うそうだ。

 1年目は、うまくいった。まだ肥料が残っているのか、できもよかった。2年目、生育がまだらに、悪くなり、虫の被害はひどかった。
 次の年、転換3年目(2006年)、虫の被害がやはり出た。

 少し弱気になりかかっていたその年の4月、林幸美さんが、綾町に来てくださった。2,30人ぐらいの勉強会のつもりが、特に山口さんからは声もかけないのに、130人も集まった。綾の町長や熊本からの方もこられた。
その勉強会で、今朝広さんも、自然の原理を再確認して、元気をもらった。

 それから、3年目、4年目、虫の被害はパタとやんだところもできたが、ひどいところも続く。

そして今年5年目。10月の畑の現状はどうか?
10月の畑には、里芋、生姜などと共に、冬に向かって、人参、ブロッコリー、白菜、キャベツ・・・が育っていた。

「炭素循環農法」になって、虫の害が少なくなったとはいえ、野菜別にみると、まだ、白菜、キャベツ、ブロッコリーが難しい。特に、旬を外すと、虫が多い。何よりも、旬の時期に作るべしと今朝広さんは考えている。


生姜畑

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収穫した生姜


葱畑

 里芋や生姜は、特別よくもないが、ふつうにできていた。虫の被害もないようだ。
 ところが、ブロッコリー、白菜、キャベツの出来は、もう一つだった。かなり虫の被害にあっている。
 特に、ブロッコリーは、畑全面、虫に食われて、ひどい。10月初めだから、ブロッコリーは、時期外れということでもない。 

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 正直、転換5年目の畑に期待して、宮崎まで訪ねてきただけに、これは大変と感じた。
 飄々として、明るい、今朝広さんも、この畑の前では、暗かった。
 「炭素循環農法」に替えて、5年目の畑・・・。この状態をどうみるか。 
 今朝広さんは、悩んでいる。
 「宮崎は南国。炭素循環農法でも、虫に食べられるのは避けられないことなのだろうか。収益性のいい、白菜、キャベツ、ブロッコリーを作らず、小松菜、大根菜など、虫のつきにくいものを作るべきだろうか。こんな状態が続くなら、まだ、EM農法のほうがましだ。EM農法なら、やはり虫に食われるが、いまより、もっと野菜のできがいい。野菜がきれいだし、ナスは、一か所から3本出た。生育がいいと、虫の被害も気にならない。炭素循環農法では、徐々に生育ができるようになったが、まだまだだ」。

 今朝広さんの中で、南国での「炭素循環農法」の有効性に疑問が出てきている。

過去から見る、未来から観る

 こんな山口農園のいまの姿が、しかし、若者にとっては大きなプレゼントになっている。若者たちは、今朝広さんを交えて、それこそ、対等に、真剣に話し合う、いい材料だ。

 この農法は、ブラジルでもやられている。南国だから虫は仕方がないと、言い切る前に、やることはないだろうか。
 壁にぶっつかったら、原理に戻って観てみる。

 人間は<考える動物>である。
 ただ、考えていることは、過去の経験、知識、データに基づいている。
 人間の大脳は過去の集積。しかし、その過去の集積は、大自然からみれば、まだまだ不完全なもの、一面的なもの。間違い多いものではなかろうか。過去から未来を考えてみても、過去が間違っているなら、未来も間違う。

 では、ホントのことはどこにあるのか。それは、過去の側、人間の側にはない。
 自然の側にある。未来側にある。
 自然の側から、未来側から、観てみると、どうか。

 「みんなが生き生きしているのが自然。我慢しているのは自然ではない」
 「虫が食う野菜は、虫のえさ。虫の食わないものが、人間の食べ物」

 もしも、この原理が本当であれば、ブロッコリー畑は、虫が喜ぶ状態、腐敗型になっていることを示している。人の食べ物にならないものは、自然界のピラミッドの最低段階に降りていくように、虫や微生物が協力してくれている。
 炭素/チッソ比が、40以下になると、腐敗型の土になる。
 このブロッコリー畑の土は、5年「炭素循環農法」をやってきても、腐敗型であるとすると、その原因は何か。

 いろいろ聞いてみると、つぎのことがわかった。
 ブロッコリーの畑は、その前は、大豆を植えて収穫した。大豆の前は、里芋だった。
 炭素資材は、その里芋を植える前に、入れたきり、あとはあまり入れていない。

 でも、里芋と大豆はよくできた。
 そのあと、ブロッコリーを植えた。
 となると、ブロッコリーを植えた土は、大豆のチッソが残っているところ。その上、炭素不足。だと、炭素/チッソ比が、低くなっているのではなかろうか。

 もし、そうなら、発酵型の微生物のエサ不足とともに、チッソ過多で、腐敗が起きやすい。それが原因であれば、炭素資材をたくさん与えれば、問題は解決するだろう。

炭素資材の量と作物

 炭素資材の投入量を聞いてみると、山口農園では、廃菌床を、反(10a)あたり、昨年は1トンぐらい入れたそうだ。

 今年は、<虫一匹いない>完ぺきな農園をめざし、昨年の2倍から、3倍、廃菌床を入れた。キュウリは、そのせいか、2倍ぐらい今年は取れた。

 白菜、キャベツのところは、やはり2倍入れたが、どれだけ取れるか、これからだ。白菜、キャベツには、虫はすでについていた。ブロッコリーは特に虫の害がひどい。

 EMから切り替えて、硝酸態チッソが年々下がってきて、3年目で、3~5に、今年は、1を切ったという。下がってきて、そのせいか、小松菜はおいしく、うまく育っている。

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人参畑

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キャベツ畑

 ただ、全体的に見て、廃菌床をドカッと入れたところと、少ししか入れてないところと、比較してみても、収穫量は、その量に比例しないと、今朝広さんはみている。

 全国のあちこちの畑を回ってみて、炭素資材の量は、さまざまだ。
 ただ、満足のいく作物ができているところは、考えている以上に、炭素資材を入れる必要がある。(少なくとも、土ができあがるまでは、すなわち、発酵型の微生物が畑を覆いつくすまでは)

 その目安は、もとの畑の土が明らかにまだ見える、炭素資材がまばらにしか見えない状態では、炭素資材は足らない。全面的に炭素資材が覆うぐらいまで投入する。それは、相当な量となる。

 年に炭素資材が1反(10a)あたり、1~3トンぐらいでは、畑を炭素資材で覆うことなどできない。
 この「たんじゅんさん訪問」第一回の愛知の津島市の稲垣正貴さんも、はじめは、そのぐらいでいいとしていたが、やってみると、一度に、炭素資材を反当1トン、一作で3トン、一年で10トン近く入れて、満足な状態に畑がなるのではないかとしている。

 そのために、1月半か、2月おきに、稲垣さんは、チップを畑に反当1トン近く撒いている。稲垣さんの畑は、作物以外は、全面チップで覆われ、土が見えない。

 勘違いしがちだが、<炭素>が1トンと、<炭素資材>が1トンは同じではない。<炭素資材>のなかに<炭素>は、水分や他の成分を除けば、数分の一しか、含まれていない。だから、チップや菌床などの<炭素資材>を、たとえ10トン畑に撒いたとしても、<炭素>量にすれば、3トン前後かもしれない。

 それにしても、それだけ畑に撒けば効果がある、あるいは、効果があるかどうか、比較試験ができるとして、問題は、そんなに多量の炭素資材で畑を覆うことが、どこでもだれでも、経営的に、労力的に、また、実際的に可能なのだろうか。

 「たんじゅんさん訪問」第2回の福岡の山下公一は、炭素資材が手に入らないので、大量の草を切って入れたり、野菜くずや紙を撒いて、苦労されていた。

 山口農園も例外ではない。
 廃菌床は町の中で手に入るが、トラックで取りに行って、1500円する(今朝広さんの特価らしい)。一回に850キロぐらい積める。それを一反10aに撒いても、2町(ha)では、相当な額になる。だから、年に2,3回撒くのが現状だ。すると、反当たり、年に廃菌床でせいぜい2~3トン、4500~6000円となる。(若者が取りに行くと、軽トラ一杯で、1,500円だそうで、それは、300~400キロだから、1年に2トン入れても、一反1万円ぐらい費用がかかる)。

 とても、年に反当たり炭素資材を10トンなんて、経費的にも、実際的にも、不可能に近いといえよう。
 だがしかし、それは、現在や過去を固定して、見て、考えている。
 未来側から観れば、みんなが生き生きと生きれるようになってある。とすれば、どうだろう。

 日本には、炭素資材はありすぎるほど、余っている。ただ、それが現在まで生かされていないだけと観える。
 実際、山口農園の周りは、高い草が茂り、若者たちは、周りの草を刈って、畑に入れている。でも、草だけでは、炭素量は知れている。

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炭素資材に囲まれて

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草を敷き詰める

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炭素資材を待っている

 ぐるりと囲む森の木々は、手つかずで、間伐を待っている。
 いずれ、次のような未来が、そう遠くないうちに描けてこよう。

 自治体の応援のもとにできたNPO<森と畑>?の若者たちが、木々の間伐を請け負い、それを大型破砕機でチップ化し、農家にトラックで配送してまわりながら、中古のリフトを改造したものでチップを受け取り、これも中古の田植え機を改造した散布機に詰め替えて、畑に撒いていく。

 未来側から観ながら、今を眺めると、山口農園の難問も悩みも、すべて未来のための一里塚。
 山を下りて、見送ってくれた、「また、春に待ってます」という若者の笑顔が、それを語ってくれている。

 ありがとうございます。

 来春の再会が楽しみだ。畑が、若者がまっている・・・・・。

じつは農は終わりかと

 帰り、静岡まで17時間の運転をしながら、ふと、今朝広さんの言葉が浮かんできた。

『じつは、自分の代で、農は終わりかと、昨年までは思っていた。ところが、昨年暮れ、餅つきをやろうと、数人で計画したら、何と150人も集まってしまった。お正月も100名ぐらい。

 なんだか知らないけど、宣伝したり、農業を勧めたこともないのに、このところ、いろいろな方が寄ってくる。特に若い方、しかも、農業に縁のない方が、次々と尋ねてくる。

 今年4月には、林幸美さんが、2度目、綾町に来てくれ、農は終わりなんて言っておれなくなった。

 自分の役割は、見本になる作物を育てるしかない。それには、土に力をつけること。
 ボクは、人に教えることは得意ではない。作物を育てるのが楽しみ。

 いままでは、それが週に3日しかできなかった。ところが、こんなに若者が寄ってきてくれて、配送を助けてくれ、いずれ一週間丸まる、一年中、畑ができるようになると思うと、わくわくする。
 そこまで行かなくても、いままでよりも、一日で、2,3時間余裕ができるだけで、やりたいことがやれる。・・・・・・・』

 昨年、もう農業も終わりだとしていたのとは、大違いだ。おまけに、娘3人のうちの二人までが、今年来た若者と結婚しようとしている。

 地道に、安心して食べられる野菜を栽培してきた28年の実りが花咲き始める時。自然の計らいなのであろう。
 自然は、いきな計らいをするものだ。

*    *    *

 そうなのだ。

 人が寄って、足し合えば、響き合えば、できないことができる。 もともと、自然は、そうできている。未来から観れば、そうなってある。

 あまりに、いままで自分が自分が・・で、自然の姿から外れてきた。

 そろそろ、自然のままに、自由に、溶けあうトキが来ているのかもしれない。頑張らないで、無理なくできるトキが。

 反自然は、無駄が多く、頑張りになる。

 不自然でもいいが、反自然はまちがい。

 なんだか、とっても、宮崎が近くなったなと感じながら、東に、東に、車を走らせた。

 ありがとうございます。

============================

補足

<空気>は必要で<水>はいらない

 この農法で、炭素資材を、畑に供給するのはいいが、すぐにトラクターで、すき込みがちだ。農業経験のある方は、「炭素循環農法」になっても、当然のようにそうする。

 しかし、それは要注意。撒いた炭素資材が、無駄というより、マイナスになりかねない。

 発酵型の土には、<空気>が必要で、<水>はいらない。

 深い土中では、空気が少なく、水が多い。

 まだ、十分団粒化していない畑だったり、そのあと、雨が降り続いたり、あるいは、水位が高い畑では、いくら大量に炭素を畑に撒いても、それを深く土中にすき込むと、それは、発酵の土にはならず、腐敗になってしまう。

 発酵型の微生物に、<水分>はいるが、<水>はいらない。<水>は発酵を妨げる。

 山の緩やかな傾斜地では、水の道が畑を浅く流れている可能性もある。

 元気に育ちかけた野菜が、雨が降り続くと、とたんに、色が悪く、虫が食べだすという場合は、畑を掘ってみると、水が湧いてくることがある。

(その場合は、畑の上端と両端に、水路を掘る必要がある)。

                                            第3回 終わり

4 八重沢良成さん

たんじゅんさん訪問 4
八重沢 良成さん  (新潟県津南町)
                          09年10月26日

いいことずくめだが、ひとつだけ問題が・・・

 定年退職58歳で始めるに、嫌いな農業しかない
 〈手抜き農法〉を選んだ確かな直観力と実践力
 公社から借りた耕作放棄の3町歩に廃菌床と草 
 3年目に根ぐされでアスパラ半分被害、しかし…


  昭和22年(1947年)9月30日 生まれ
  58歳まで教育委員会など、町職員。管理職。
  退職後、3反の土地を借り、農業をはじめる。
  「ふうちゃん農園」のブログ、ネットと市で販売

田舎で生活するには兼業で
 千曲川が、長野県を越えて、新潟県に入り、信濃川と名を代えてすぐのところに、津南町はある。さらに下ると十日町。冬は雪深いところ。
 その谷あいの国道からはずれて、広い町道を上がりあがっていくと、意外、広い大地に出る。そこが住宅地で、さらに上がって行くと、さらに、広い大地に出る。大昔の地殻変動でできた特殊な地形。
 この辺りは、7段から9段の、日本一の河岸段丘になっている。昔の信濃川が、何回か、隆起に隆起を重ねて、上にいくほど、広々とした畑になっている、他では見られぬ光景だ。八重沢さんの畑と田の3反は、その広い河岸段丘に点在してあった。
 家がある所は、標高340m、田は標高400m、畑は500m。

       
      大昔隆起してできた河岸段丘がいまは野菜の団地や田になっている
(写真をクリックすると、画像が大きくなります)

 その日は、10月も末の、冬の到来を思わせる冷たい雨が降っていた。
 それをものともせず、何枚かの畑を、雨に濡れながらつぎつぎと案内してくださった八重沢さんは、楽しそうで、「数年前まで農業嫌いだった。今でも、嫌いです」といわれるけど、そうは見えない。
 見て回った野菜たちも、八重沢さん同様、生き生きとしていた。

 八重沢さんのお父さんは郵便局に勤める兼業農家だった。田舎は、どこも同じだが、町で働きながら、生活のために、農業を続ける方が多い。
八重沢さんも、役場の職員になったので、当然、兼業の道が用意されていた。しかし、米の収穫期を除いて、父の農業を手伝わなかったし、自らが農業をやるということはしなかった。農業は嫌いだった。
役場の仕事一筋で定年までやってきた。いろいろな部門を経験したが、教育委員会の仕事が長く、農業関係だけはしていない。

農業嫌いが農業をやるしか
昔は、どこでも、子どもは農業の手伝いをさせられた。八重沢さんも同じで、お父さんの手伝いをして、田起こしの時は、小学校3年ごろから、牛を使って、田起こしをした。しかし、農業嫌いになったのは、それではない。
そのころから、田に水銀農薬を撒くようになり、それで吐き気をもようしたり、川に魚が浮かぶ姿を見て、「そんなモノをなぜ撒くのだろうか?」と疑問に思ったことが、農業嫌いになった。「農薬」嫌いである。
その後も、父が農薬を使っているのを見て、そのあとを継ぐ気もなかった。

ところが、役場では、管理職だったので、その定年は58歳。それが近づくにつれ、何を定年後するか迷った。その年では、年金もないし、何か仕事を始めるしかない。しかし、田舎で生活するには、58歳では農業の道しかなかった。
農業嫌い、「農薬」嫌いが、農業をやるにはどうしたらいいか。定年2年前から本やネットで探りはじめた。有機無農薬農法とか、無肥料自然農法とか、いろいろ調べた。
そのなかで、唯一ストンと腑に落ちたのが、ネットで見つけた「炭素循環農法」だった。無農薬はもちろんだが、<手抜き>農法にひかれた。

   
     八重沢 良成さん
この辺りは寒冷地。野沢菜とアスパラ、それに、米(魚沼産)が特産。
手抜きができそうな、アスパラと米に目をつけた。
アスパラは多年草。売り物になるのは、植えて5年後。それから10年ぐらいまでは収穫できる。
やめる1年前に、津南町の農業公社から、まず8反の畑を借り、アスパラの苗を植えて、「炭素循環農法」をスタートした。 

耕作地より放棄地がいい
 始め借りた土地は、前年まで野沢菜を作っていたところ。
野沢菜は1年に3回でき、肥料もたくさん使うし、1回に数回消毒する。
植えたアスパラは、1,2年目はふつうだった。ところが、3年目になって、半分くらいが、根ぐさりになった。虫もひどかった。根が伸びて、下の残っていた野沢菜の肥料を吸い出したからだろう。
その後、別の畑も借りた。やはり野沢菜を作っていたがやめて、2,3年耕作放棄したところ。そこでのアスパラは、3年しても、虫もそれほどでなく、少し根ぐされした程度だった。

7年も何も作らないで、生えた雑草だけすき込んでいた田を借りた。そこは、はじめから野菜に、虫がつかなくて、あらゆるものがよくできた。
多肥栽培の耕作地を、無肥料に転換した場合には、3年ぐらいは、虫の被害が出る。しかし、それが長く耕作放棄されている場合には、次第に草によって肥料が抜けて、転換後、すぐにいい結果がでるようになる。
というのが、八重沢さんの経験からの結論。
「炭素循環農法」をやりはじめた方のなかには、それがわからないで、1年目もたたずに、また、慣行農法に戻る方も多いのではないかと、八重沢さんは言われた。

費用がかからぬ
現在、3町の畑を借りて、借地料は一反1,4000円(水利権込み、高台だから水はない)だから、公社に30万円以上払っている。
それでも、この農法だと、手がかからないし、経費が安く済む。
肥料や農薬代はいらない。廃菌床を撒く手間だけ。いちいち肥料設計を作物ごとに、季節ごとにしなくていい。素人にはうってつけ。
廃菌床は、キノコ屋さんと契約し、タダで手に入る。  

     
      アスパラガス畑              草はいずれ刈って炭素資材に
アスパラの収量は、慣行農法よりもやや少ない程度。
他と比べると、この農法の作物は、生育が遅く、芽ができるのが遅いが、ある程度経つと、グングン育ち、途切れなく出荷できるという。
栽培は、1年目、苗の定植前に、廃菌床を反当たり4トン入れ、管理機で土とかき混ぜ、定植し、収穫期が終わり、茎が立ったあと、7月末から、9月のあいだに、廃菌床を4トン、ウネ間に入れ、小型トラクターでウネ間だけをすき込む。
2年目以降は、年に一度、収穫し、やはり、茎が立ったあと、廃菌床を草と共に、ウネ間にすき込んでいる。

廃菌床は、持ってきて、その日のうちにすき込むことが大事。一度試験的に2,3日積んだものをすき込んだことがあるが、チッソ飢餓を起こし、アスパラがぜんぜん育たなかった。
ウネ間の雑草も、大切な炭素資材。年に3回、草が十分に伸びてから、生のままモアで粉砕し、小型トラクターですき込んでいる。
使っている廃菌床は、コーンコブにおからが混じっているので、特に腐らさないことが大事。
いずれ畑ができてくれば、八重沢さんは、廃菌床を使わなくて、まわりの雑草だけで育てたい、いや、育つとしている。

八重沢さんのまわりは、アスパラの産地なので、この農法のまねをする方が出てきているのではないかと聞くと、まだ誰もまねをしないという。
最初、八重沢さんが畑をはじめたころ、アスパラの根ぐされが出た。
しかし、それを知っていて、だから、失敗したくなくて、マネをしようとしないのだろうと、八重沢さんはいう。
アスパラは、多年草なので、失敗すると、大きな痛手になる。

ほかに、いろいろな野菜も栽培しているが、すべて「炭素循環農法」にしている。ジャガイモ、ニンジン、ダイコン、インゲン、葉モノ、・・・

    
      ダイコン畑                     ホウレン草畑    
味は、慣行のものと、全く違う。
近所の2歳の子が来て、ニンジンなどを食べる。自分のウチのニンジンは食べない。小さい子は味が分かるようだ。「それでも、そのウチは農法を変えようとしない」と、八重沢さんは笑っていた。
畑の野菜をちぎって味見をしてみたが、どれも、甘みがしっかりあり、苦味がない。柔らかで、しかも、つやがある。生き生きとしていて、元気がいい。

米は1町、もちろん、魚沼産コシヒカリ。魚沼産で、有機だと、1俵6万円から7.2万円で売れているそうだ。
ただ、米は、地域みんなでやる仕組みがあって、異なる農法はやりにくく、慣行農法でやり、もち米だけ、「炭素循環農法」でやっている。
もち米は、腰と粘りが違うそうだ。
 
やりだしたらトコトン
八重沢さんはこの農法を5年前に始めるとき、奥さんや、お父さんに話した。しかし、「無農薬で、そのうえ、無肥料。そんなモノで農業がなりたつはずがない。いままでなにもやらなかった者が何を言い出すの。そんなことで、モノが取れる筈がない」と、言うことを理解も信用もされなかった。
それでも、強引にやりはじめた。
それは、このことだけではない。それまでの役場の仕事でも、八重沢さんはこれと考えると、少々の反対があっても、押し切って仕事を進めてきた。
改革派は、どこでも少数派。それでもやりぬく強引さ。それは、八重沢さんのなかに、目に見えない確かな羅針盤、直観力と、一人でもやっていく実践力が備わっているからだろう。

    
  畑のインゲンは、まだ花が咲いていた。
 昨年からは、ズッキーニを作り始めた。初めは、苗がなかなか育たなかった。所がある程度大きくなると、どんどんできて、できすぎて、捨てることになった。
この農法だと、はじめは、栄養が不足気味で、根が伸びるのに使われる。
それで、はじめ上が育たず、根が育ってくると、急に成長しはじめる。
 ほかの農法に比べて、根が張っている。稲も同じ。手で引っ張っても、根が抜けない。コンバインで刈る時、根が引っ掛かってくる。・・・・

雨の中を1時間ばかり案内していただいている途中、八重沢さんに携帯電話がかかってきた。奥さんからだ。「雨のなかなので、早く家にもどってください」という催促の電話。
畑に行ったら、止まらない、そんなご主人の性格と知って、雨の中、次々と畑を回って連れまわされている?お客さんのことを思っての電話だろう。

野菜が心で活かされる
雨の中、お宅に戻って、あげてもらった。冬の雪の深さがわかる家つくり。
一階は住むようになっていなくて、玄関からすぐにドーンと階段が2階に上がるようになっている。いざとなれば、2階から外に出入りできる。

     
暖かな炬燵の上に、料理がずらり。畑の野菜たちが、奥さんの手で、いや、心で料理されて、お皿に並んでいる。
一緒に訪問したワコサンは、もう目で食べている。ハシタナイと思いながら、同じことをやっていた。
   
カブの漬物、インゲン炒め、ニンジンなます、焼きシイタケ、おでん、ダイコン葉煮びたし
とても、いい味だ。味付けが柔らかくて、野菜の味がそのまま生かされている。野菜が自然の甘みで、柔らかい。苦味がない。さすが・・・。

奥さんに聞いてみた。
「はじめは、取れるはずがないと思っていました。周りの畑がやっていることと違うし、農薬は使わないし。でも、人の言う事を聞く人ではないので、反対まではしませんでした。でも、見ていると、2年目、3年目とよくなっているようなので、ケンカしながら、ずっとついて来ました。3年目にアスパラの株が少しずつ増えてくるのを見て一安心。
ふつう、アスパラは、ゆですぎると皮がむけて、とろけてしまう。ところが、ウチのアスパラは、ゆですぎても、皮がむけない。いまは、よかったなと思っています」。

八重沢さんは、それを笑いながら聞いていて、「女房達は、食べておいしければいい。それにたくさん取れればいい。農法は関係ない!」と達観していて、満足げである。
八重沢さんは続ける。
「この農法は、いいことずくめだ。借りた畑は、水はけが悪くて、大雨で耕土が流され、放棄されていたところ。逆に日照りが続くと、トラクターで耕すだけで、土ぼこりがもうもう。
それが数年ですっかり良くなって、多少の雨では耕土が流れなくなった。雨がやめば、農機がすぐ入れる。乾いても、少し土が舞い上がる程度。
廃菌床と雑草の効果は、すばらしい。素人が横着していいものができる。
味がとてもいい。いつまでも、野菜が生き生きとしている。
でも、ただひとつ、この農法で問題なことがある。それは、ほかで作ったものが食べられなくなる。腐敗の臭いがしたり、化学肥料の味がわかるようになるからだ」と楽しそうに笑う。

これからの課題については、
「アスパラガスは、10年経つと、収量が落ちるし、連作障害が起きるので、ふつう、そこでやめる。しかし、この農法で、10年後、アスパラがどうなるか、だれもやっていない。それがこれからの楽しみ」。
「このままいけば、いずれ、廃菌床の投入をやめて、まわりの雑草だけで、育てていけるのではないかと考えている。それをやってみたい」。

     
奥さんが、畑の野菜をきれいにして、玄関に置いてあった。「まだ、ダイコンは肌がアバタなのですが、味はとっていいです」と。 
帰っていただいたが、柔らかく煮えて、甘く、確かに、味がよかった。


新潟の山の中に、たんじゅんさんを訪ねた旅。
この農法は、まだまだ、新潟でも知られていなくて、ほかに仲間がまだいない。しかし、八重沢さん夫婦も、それに、畑の野菜たちも、未来に向かって、みんな生き生きとしていた。

それは、遠来の客に対しての儀礼からでも、雨に濡れたからでもなく、人として、生き物として、本来の姿の発揮できる場をみつけたからであろう。
本来の姿は、単純、明快、矛盾なし。
いずれ、近いうちに、仲間が増えてくる、そんな場である。

手抜き、横着、カンパイーーー。
ありがとうございます。

連絡先
新潟県中魚沼郡津南町上郷大井平3647  八重沢 良成
「ふうちゃん農園」http://www.fuuchan-nouen.com/
参考
『現代農業』2008年10月号p238~p242  「廃菌床と草だけでアスパラ二町栽培」 


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たんじゅん 

Author:たんじゅん 
「虫がつく野菜は、人間の食べ物ではない、虫のエサ。人間の食べ物は虫がつかない野菜。虫も野菜も人も、すべてが生き生きとしている。もちろん、お百姓も未来の大人も・・・」。
それが、自然・天然の仕組みと聞いて、びっくり、納得。
人間の側からではない、天然の側からのたんじゅんな農法は、もしかすると、戦争のない平和で豊かな世界の一つの実験、実顕ではなかろうかと、その実践報告を集めている。
連絡先メールアドレス tanjun5s@gmail.com

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