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たんじゅん塾 自然基準の言語 7月18日

神奈川の二宮で、「日本語は自然基準の言語」という、怪しげな仮説が披露された。
話したのは、井中 門。

その話を要約してみると、

農だけでなく、あらゆる人間の活動は、<人間基準>か、<自然基準>かに、分類される。
いわゆる、16世紀に争われた、天動説か、地動説かは、過去の話ではなく、
極めて、現代的で、しかも、まだまだ、圧倒的に、一方の基準に、
大した根拠もなく、偏していることもわからず、盲信されている基準である。

いえ、元々、そんなに、<人間基準>か、<自然基準>かに、焦点を当てることが、
生きる上に、大事であるなんて、思っている方は、ほとんどいない。
むしろ、重箱の隅をつつく話か、空理空論のお遊びぐらいにしか、思わない方が多いだろう。
たんじゅん農に関心がある方であっても。

だがしかし、
野菜は<作る>モノなのか、野菜は<できる>モノなのか
といえば、
その違いは、明らかではなかろうか。

でも、ほとんどの方には、それもどっちでもいいのかな。

だが、しかし、自分が,生きているのか、生かされてあるのか、となると、
どっちでもいいとは、言えないだろう。

<人間基準>では、どうか。
<自然基準>では、どうか。
どちらでも、同じか。
100年後、どちらの基準が当たり前になるか。

じつは、そのことは、農だけでなく、医も、教育も、そして、社会全体のことも、
人間の活動は、二つあり、そのどちらかによって、まったく、ちがってくるのではなかろうか。

そう観ていくと、
人間の活動の中で、最も基本的な,言語も、二つあることに気づく。

それも、普通に使って、言語が、<人間基準>と、<自然基準>の二種類あると。

日本語は、どちらであろうか。英語は?

日本語は、主語がない、なくても、通じる。
そのわけは、<自然基準>だからではなかろうか。ここでは、それについての詳しい説明ははぶく。
たんじゅん塾で用いた,資料は、関心があれば、参考にみてください。
資料1資料2
英語は、<人間基準>。主語がなくては、通じない。
英語だけでなく、世界の言語のほとんどが、<人間基準>。

<人間基準>では、争いが普通だが、<自然基準>では、一体。自他の境はない。

これから、どんな社会になるか。
それは、<自然基準>の言語が,広まるか。
あるいは、<人間基準>の言語が,広まるか。
それにも、大きく関係するのではなかろうか。

言い換えると、
<自然基準>の農が、日本語を使っているブラジルのもどきさんによって整理、提案された、
その農が、日本に徐々に広まっている。
そのほかの国では、それほどではない。
ブラジルでも、日本語を話す,日本語人によって、実践されている、ということは、
偶然ではない。

医が,そして、社会が、自然基準に、人間基準から、かわっていくとすれば、
日本語人が、それを、中心的に進めていくのではなかろうか。

という、仮説が立てられる。
すべて、仮説。

さていかに。

この続きを、9月のたんじゅんの会で、もう一度、たんじゅん塾でやらないか、という話もある。
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Author:たんじゅん 
「虫がつく野菜は、人間の食べ物ではない、虫のエサ。人間の食べ物は虫がつかない野菜。虫も野菜も人も、すべてが生き生きとしている。もちろん、お百姓も未来の大人も・・・」。
それが、自然・天然の仕組みと聞いて、びっくり、納得。
人間の側からではない、天然の側からのたんじゅんな農法は、もしかすると、戦争のない平和で豊かな世界の一つの実験、実顕ではなかろうかと、その実践報告を集めている。
連絡先メールアドレス tanjun5s@gmail.com

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